怒りや不満、心配などぶつけたところでなんともならない話

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怒りや不満をぶつけたところで、なんともならないという話

私は20代の時、何にでもよく「ムッ」とすることがあり、それを不満に思ったり、時に理論責めしてしまう癖があるのでつくづく治したいと思っていた。

しかし、その怒りや不満を紐解いていくと、自分自身がとても恥ずかしくなり、そして自分の軸が明確になるという話。今日は一応、恋愛論。

同棲しているカップルが意見が食い違い喧嘩になる理由

8年ほど前に付き合っていた彼氏と同棲を始めたとき
なぜか家の通路の真ん中に本が積んであり閉鎖されてることがあった。

「…なんで廊下の真ん中に本を積む…邪魔で仕方ない。」
と、伝えたところ彼は笑顔でこう言った。

「あ、廊下のふちに寄せるねー」
「!!(そういう問題でない!)」

私の中には

「廊下は歩くための所なので邪魔なものは置かない」

という考えがあった。
そしてそれがみんなの共通認識として、正しいと思っていた。

「邪魔じゃないか。」
と、彼に伝えてみると
「え?なんで?」
「え?なんでって?」

私はなぜ「なんで?」が返ってくるか理解できない。
廊下は何も置かないが正しいと思ってるから。

彼はなぜ「邪魔」なのかが理解できない。
確認してみると、彼の育った環境では廊下はいらないものを置いておく場所だったからだ。

これらの相違は「誰が正しい」とジャッジできないので、自分が正しいと思い相手を否定するかそもそも問題視しないかしかないのだ。

育ってきた環境が違うから~の影響

誰もが自分の常識が正しいと思っているが
その常識は家庭環境や育った環境に大いに影響される。

自分の常識は他人の非常識という言葉があるように
同じ環境で育った兄弟でさえ意識や常識の違いは生まれてしまうのだ。

他にも同棲していると
「靴を並べない問題」
「靴下洗濯機にいれない問題」
「テレビ見ながらご飯食べる食べない問題」
起こる問題は結局解決のしようがないか、どちらかが無理して合わせるしかないのだ。

しかしこれを解決する1つの方法がある。

相手の今のすべてをまるごと受け止めること

「浮気?何してもいいよー。本人がしたくてしてることを止める権利もないし、それを含めてまるごと受けとめるから。そんなあなたを好きだと選んでるのは、私だから。」

一度だけ、このセリフを聞いたことがある。
究極の愛だなあ・・・これが相手を好きということかと感じた。

人はつい不満や制約を人に押し付けてしまいがちだけれど
そんな人と一緒にいてもきっと苦しくなっていくだろう。

選んだパートナーが
自分らしく自由であるためにもありのままの相手を受け止めて
自分が不満に思うことは自分で解決する癖をつける。

それが嫌ならそのパートナーとは合わないからやめる。

自分は何もせずに、相手にだけ変わってもらうのを求めるのは違うし
自分が変わることを相手に認めて欲しいというのもちょっと違う。

恋愛でもビジネスでも同じこと。

人間同士のベストな関係は「お互いを認め合うこと」

認め合うためには「自立」していることが必須だ。
自立とは「他人に依存しない、自分自身で律することができている」ということ。

恋愛においてもビジネスにおいても
誰かが悪い=他者への責任
ではなく
その環境を選んでいる自分が悪い
という自己責任の癖をつけて、自ら問題解決の癖と力をつけるということ。

そうすると多くの問題は解決する。

あなたの悩む問題の多くは、この考え方で解決する。

*自分の常識は他人の非常識
*相手を受け入れて押し付けない
*人のこと言う前に自分を変える
*自己責任の癖をつける

悩みや不満の多くは、それをもつ自分自身にあるということ。