溢れるものや情報を手放すことで得るもの

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溢れるものや情報を手放すことで得るもの

溢れすぎている現代の豊かすぎる社会

真実かわからない情報過多の時代

インターネットが一般に普及し始めて20年前後。

パソコン所有が家庭で当たり前になり、ここ10年はスマホの普及により私たちは多くの情報を簡単に得ることができるようになった。

今では知りたいことやわからないことは親や教師や教科書が教えてくれるのではなく、インターネットで検索することがもはや手っ取り早く正確だ。

しかし普及しすぎたその結果、インターネットに誰でも情報が簡単に乗せることができてしまうため情報の信ぴょう性など管理ができてないまま、発信されていることが多々ある。

少し前に話題になったWELQ問題。これがわかりやすい例だと思う。

私たちはインターネットを手に入れたことで、様々な情報や方法、可能性を手にすることができるようになったが、その反面真実かどうかわからない確証性のないものまで真実として受け止められてしまうことができるようになってしまったのだ。

得た情報を自分にとって有益なものかどうか取捨選択をしなければ情報をうのみにしてのまれていってしまう。

モノがムダに溢れてしまう時代

情報と同じように今の世の中はモノが無駄にあふれている。安くてそれなりにいいものがあふれかえっている。

そんな中で生きているとモノを大切に扱うよりも安いのだから壊れたらまた買えばいいとなるのは必然だ。

特に日本は資本主義社会。テレビや雑誌、ラジオで流れたものは「真実がどうであれ」知らない人はそれを信じて買ってしまう。

同じようにメディアに情報操作をされて、購買欲求を突き動かされてしまう現実。

豊かさの価値観が変わっていく

80年代・90年代の豊かさの象徴

一昔前、80年代までの日本の高度成長期の豊かさの象徴は「モノ」90年代のバブル期の豊かさの象徴は「金」

では今の時代の豊かさとはいったい何なのか。金はそんなになくても生きていける、モノは安く良いものが手に入る。

労働しなくてもインターネットで収益を得ることができる。何でも手に入る今の時代人が欲しがっている価値観はいったい何なのか。

今の20代の傾向にあるものは「何もいらない。お金も必要以上使いたくない。物はシンプルに。そしてかっこよく」

SNSが普及した時代SNSで自分を真実はどうであれ自分を良く魅せることが20代の価値観につながっている。

失っているものやこと

しかし20代の彼らがよく求めている本当のものは「熱く本気に夢中になれる何か」

豊かな国は幸福度が下がるという結果があるのは、豊かでありなんでも手に入ると「それが手に入る価値観」に「感情」が揺さぶられなくなってしまうことにあるのだと私は思う。

インドネシアの小さな町で日本のスクーターに5人で乗っている家族を見ると「それがある喜び」を「楽しんでいる」

私が子供の頃はインターネットもゲームもなく、夏休みは朝目が覚めて姉と家の周りのどぶや野原を散策して、咲いてる実を食べてみたり虫を触ったりすべてが面白かった。

こんな話をすると「そんなの古い」と思われるだろうが、自然や本能を開放している状態は人として実に幸福度が高くなる。

もし人生に幸福感や充実感を得たいのなら

もし今現状に満足できていないのであればまず下記のことをやってみるといいと思う。

①情報やモノ、常識や人間関係を自分から手放す

自分には当たり前でないものはすべて捨てる

②そのうえで自分が今純粋に何がしたいのか考える

本当に縛られてない状態で自分は何をしたいのか、何を得たいのか考えてみる

③できるできないではなく、やってみる。

できるか、できないかではなく自分の中から湧き出た自分のやりたいことをやってみる。すると本能が目覚める。感情が動き出す。

海外に行ってみたかったのにお金がかかるからいけなかった。でも何とかして行ってみたら感動した。これが自分のしたかったことだ。ここからこのために動き出そう。

そのスタートがもたらす人生の豊かさは、誰がどう言おうがその人の人生においてとても素晴らしいものになる。